ハウルの動く城

 筆者は宮崎作品が特別好きなわけではないし、毛嫌いしているわけでもない。たまたま時間が合ったので、思わず初日に見てしまった。

 この映画は恋愛映画の皮をかぶせた反戦映画である。そしてその奥にあるのは、氏の作品で一貫して描かれてきた主人公の成長(この作品の場合は若返りといってもいいのかもしれない)物語。

 ストーリー展開の軸のひとつになるのはソフィーとハウルの恋であるが、この部分に関して登場人物たちの心情の変化はまったく持って唐突である。特にハウルに関しては全てが唐突な感じがする。二人が親しくなっていく過程、惹かれていく過程がほとんど省かれているような印象である。これは声優の力量というものも少なからず影響しているのかな?とも思ったのだが、どうもストーリー構築の段階で若干おざなりになってしまったように思う。

 ストーリー自体もそうした登場人物にひきずられるように唐突な部分が多い。たとえるなら村上春樹の小説のような。物語前半でいろいろと語られた「ややこしい」ものはあっさりと解決したり、ほったらかしになったりする。もっとも大きなアクシデントであるところのソフィーの容姿の変化にいたっては物語の中盤から揺らぎ始め、最後には具体的な説明は何もなく「解決」する。無論宮崎氏は意思を持ってこういうつくりにしたのだろうけれど、子供向きにはこれでいいのかなあ。

 筆者自身はこのソフィーの変化は彼女自身の心理状態を投影したものであるのかなと解釈している。元の彼女は親の残した帽子屋でひたすら地味に暮らしている。活発な妹に「自分のことは自分の意思で決めなくてはだめだ」といわれても、周りの状況の波に揺られながらなんら目的地を定めず生きている。彼女の容姿が変貌したあと彼女の心理面も変化を見せ始める。仕方なく家を出たあとの彼女は徐々に自らの意思で行動をはじめ、がんばる。そしてそれに呼応するように彼女の容姿も変化していくのである。

 そして今回宮崎氏の思いが重点的に注がれていると思ったのが戦争に対するスタンスの表明である。上でさんざんけちをつけた唐突さのぽんぽんと軽く展開していく感じに対し、ハウルとソフィーが飛んでいく戦艦をみて交わす言葉は、ズシリと重い。
「敵?味方?」
「どちらでも同じことさ。人殺しどもめ」
いつものように醜悪な宮崎作品の化け物とあいまって、自らが起こした戦争という化け物に飲み込まれて、化け物に替わっていく人たちの姿と現実世界を重ね合わせ、薄ら寒い思いをした。彼らは(もしかして我々も)変わり果てていく自分たちの姿に気づかない。変わってしまった後は変わったことも忘れてしまうのである。

それからこの作品の魅力としてあげたいのが実写でこういう風景がみたい、と思わせられた「風景」の描写。どこかでロケしたのなら教えてほしい。

 また、これは多分そうだったよね?という程度の記憶なのだけれど、戦争シーンがたくさんあるけど、一人も死なないんだよね。画面上は。最近やっていたアトム同様、外国公開を踏まえての演出だとは思うけれど、確かに深層心理的に受ける印象がちがうのだなと思った。

 最後の全てを吹っ飛ばした、畳み掛けるようなハッピーエンドは「大きいお友達」には物足りないが、家族で行っても、カップルで行っても映画のあと楽しくご飯が食べられると思う。

                        1. +

ハウルの動く城
監督: 宮崎駿
出演: 倍賞千恵子、木村拓也、美輪明宏我修院達也神木隆之介伊崎充則
評価: ★★★


 いくつかトラックバックをいただいたので、皆さんのブログを覗いてきた。
よく書かれていたのは「原作を読んでいればよかった」「原作を読めば解る」というもの。やはりみな展開が速いことに戸惑いがあったようだ。
 筆者は、原作のある映画は映画にしてしまった時点で、映画単体でわかる、ある意味別の作品にしてしまうか、上手くつじつまを合わせるか、ストーリーの主軸からはずすか等等何らかの「加工」が必要になると思う。

 「これを知っていれば判る」とかいうのはやはり一般に劇場公開する作品としてはマイナスポイントになるでしょう。もちろん、そういった部分を楽しむような要素として作品中に盛り込むというのもあるのだけれど、ストーリー展開に影響が出てしまうのはどうかなあ。「知っている人」からすると気にならなかったりするのだけれど(筆者自身も何度か経験しました)、知らない人もひっくるめて惹きつけるような作品が筆者は好きだ。