ドッペルゲンガー

 早崎道夫は、医療機器メーカー、メディカル・サイテック社のエリート研究者。彼は10年前に開発した血圧計が大ヒットしたことで、次の開発へ向けて周囲から期待を寄せられている。だが、今では助手と共に人工人体の開発を続けるもはかどらず、上司からもたびたび進捗状況を問われ、ストレスを募らせていた。そんなある日、スランプ状態に陥る早崎の前に突然、彼に瓜二つの外見を持つ分身“ドッペルゲンガー”が出現した。そして、早崎が必死にその存在を否定する中、分身は彼に協力するために現われたと告げるのだった…。 (ヤフー映画

 古くから何度も作品の題材に使われてきた“ドッペルゲンガー”という現象を、黒沢明がどのように仕上げるのか。役所広司演技にも注目だ。

人間の内面に潜む二面性はこれまで数多の作品が取り上げてきたが、“ドッペルゲンガー”はそれを正にダイレクトに扱うのにもってこいの現象かもしれない。作品の中では役所演じるスランプに悩む天才学者が自分の分身に出会うことから物語が始まる。自由奔放に自分のやりたいことを何の躊躇もなくやってしまう分身に初めは困惑する主人公だが、次第にその行動力、生命力を利用するようになり、自分自身の中にある欲望も解き放っていくようになる。これまで自分が否定してきた感情・願望を自分にそっくりの人間がこともなげにアクションを起こす姿は「本当の自分」に気づくきっかけを与える役目を担っている。
 ここで勘違いしてほしくないのは、「本当の自分」とは中学生ぐらいの少年少女が現実からの逃避を行うときに引き合いに出される、「本当の僕はこんなだめな奴じゃない」「私は本当はお姫様の生まれかわりなの」といった類のものではない。むしろ「だらしない自分」であり、「汚い自分」である。こうした自分の不の部分とどう付き合っていくかというのは誰もが悩み、答えを見つけていく普遍的なクエスチョンなのではないかと思う。
 分身は言う。「お前が生き残る方法は一つしかない。それは、俺を認めることだ」と。

物語後半になると、本来の主人公と分身は、どちらがそちらなのかわからなくなってしまう。双方とも同じような怪我をするような箇所に怪我を負うような目に遇い、一度姿を消す。そして再び現れた主人公はヒロインにいう。「俺は今から思ったとおりにやる、付き合うか?」
ヒロインは主人公についていくが、かつて主人公が言った言葉を伝えることも忘れない。「復讐は無し。そうでしょ。」

                        1. +

ドッペルゲンガー
監督: 黒沢清
出演: 役所広司永作博美ユースケ・サンタマリア、ダンカン、柄本明
評価: ★★★