どろろ

戦国の世を憂う武将の醍醐景光(中井貴一)は、乱世を治める力を得るため、自分の子である百鬼丸妻夫木聡)の体から48か所を魔物に差し出してしまう。やがて体の一部を取り戻せることを知った百鬼丸は、魔物退治の旅に出る。一方、コソ泥のどろろ柴咲コウ)は百鬼丸の強さの象徴である妖刀を奪うため、彼を追いかけ始める。(Yahoo!映画

 40年前の手塚治虫作品の映画化であるが、今このときに映画化した製作者の意図には筆者も賛同する。エンターテイメント作品であるが、そこに託されたメッセージもしっかり受け止めたい。

 『どろろ』で中心にすえられているのは「生きる」ということであると思う。体中を魔物に奪われながらそれでも生きていた百鬼丸が体を取り戻しながら、心も取り戻していく姿やその中で体験する喜びも悲しみも、「人はそれでも生きていく」という単純なことを彩る事柄のひとつである。気が付けば他人や自分の命を簡単に奪ってしまう話が身の回りにあふれ、自らの独善(もしくは正義を謳いながら私欲のために)他者の命を奪うことを正しいことのように主張する人々が毎日のようにテレビに映っている。
 『どろろ』に描かれている世界と現在の世界、「かけ離れている」、「架空の話」と切って捨てるのは躊躇われるほど身につまされることがある。

 冒頭「すでに死んでいる」と評される百鬼丸。彼が旅の中でどろろと出会い、徐々に人としての感情を取り戻していく前半。百鬼丸どろろの活躍は「男の子」には結構楽しめる。魔物の造形やCGに「大満足」と行かないが、CGを変に隠そうとせず思い切ってどうだ、とばかりの画作りに筆者は好感を持った。
 ただし、この前半のアクションシーンにチン・シウトンが監督をしている意味があったか?というのは率直な疑問。(日本で撮った殺陣のほうがよほど強そうだし格好よく切れもあった。)

 とはいうものの、魔物を倒して百鬼丸が体を取り戻していく過程でどろろが我がことのように喜び雨に打たれるシーンなどは見ている側もその喜びが伝わってくるような良いシーンだった。

 後半に入ると父親である醍醐景光や弟、母親が登場し家族のドラマに比重が移ってくる。また、どろろは自分の両親を殺した醍醐景光を恨み、その一族郎党を敵として討ち果たすことを目標に旅を続けているのだが、百鬼丸が醍醐景光の息子であることがわかり激しく葛藤する。本人に非が無いことを理解しつつも親の敵であるということも事実。そしてこれまでともに旅をし、心を通じ合ってきたこともまた事実。

 結局、どろろは恨みの象徴ともいえる刀を川に投げ捨て“水に流す”。決して忘れることは出来なくても、“水に流す”のである。ここには現代を生きる我々にもとてもよく通じる心のあり方が示されているように思う。

 百鬼丸はそんな どろろのおかげで恨みに任せた“親殺し”をせずとも自分の心にひとつの決着をつけることが出来た。父親醍醐景光との戦いの中で額に刻まれた父と同じ傷からは百鬼丸の凝り固まった心のしこりが吐き出されたのではないか。

 『どろろ』は、キャスティングにかなり高い点をつけたい作品。唯一の大根は土屋アンナくらいのもので、百鬼丸の育ての親である原田芳雄からは、厳しくも温かい父親の愛情が見事に感じられたし、醍醐景光の中井貴一の佇まい、我が子と対決する心の葛藤などがびりびりと伝わってきた。

 百鬼丸妻夫木聡どろろ柴咲コウも楽しんで作品に取り組んでいる感じがするし、さすが息があっていたという印象だ。

                        1. +

どろろ
監督: 塩田明彦
出演: 妻夫木聡柴咲コウ 、瑛太 、原田美枝子杉本哲太麻生久美子土屋アンナ劇団ひとり中村嘉葎雄原田芳雄中井貴一
評価: ★★★